博多八景

皆さんは“博多八景”という言葉を聞いたことがありますか。
「蜩の記」で直木賞を受賞した葉室麟さんが書いた「千鳥舞う」という小説は、春香という女絵師が博多織を江戸で流行らせた豪商・亀屋藤兵衛から“博多八景”の屏風絵を描くよう依頼を受け、”博多八景“にまつわる女性たちの人生を交錯させながら、物語が綴られていきます。

“博多八景”と呼ばれるものは、歴史的に大きく2つあるようです。
◆鎌倉時代末期(14世紀前半)
聖福寺の僧が漢詩で詠んだもの。
当時の中国の北宋代の洞庭湖(どうていこ)周辺の景色を詠んだ「瀟湘(しょうしょう)八景」というものにならい、博多湾周辺の香椎、箱崎、野古など8つの風景を「博多八景」と詠んだもの。
これが日本で最初に八景を詠んだものですが、一般庶民に広がることはなかったようです。

◆江戸時代中期(18世紀中頃)
江戸時代の博多の地理や歴史をまとめた『石城誌』(せきじょうし)という書物の中で、「博多八景」として、箱崎、奈多、名島、竃山(かまどやま)などがあげられ、八景の場所も景色も,鎌倉時代のものとは異なり、博多湾周辺だけでなく、太宰府周辺の景色も含まれています。
江戸時代においては、種々の八景と題する漢詩や絵画がつくられ、当時の人々に広く普及したようです。

“博多八景”とは、日本で最初に八景を読んだものだということですが、「富士八景」「近江八景」「金沢八景」などが有名になっています。
鎌倉時代と江戸時代の2つの“博多八景”があるようですが、江戸時代に人々に広く普及した“博多八景”が今では、ほとんど聞かれなくなったというのは本当に寂しい限りです。
時代が移り、当時の景観はなくなっているとは思いますが、地域の貴重な資源として磨き上げてほしいものです。
横浜市は、平成20年に横浜市金沢区の区制60周年を記念して、区内の小・中学校や高校などで投票を行い、新金沢八景を選定しています。
本市も市民参加で、“新博多八景”の選定に取り組めば面白い発見があるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(図 – 福岡市博物館HPより)